大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和29年(行)20号 判決

原告 触沢徳三郎

被告 岩手県知事

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十四年八月一日附岩手を第一一八号買収令書をもつて別紙目録記載の各土地につきなした買収処分の無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、昭和二十四年六月二日葛巻町農地委員会が原告の所有であつた別紙目録記載の各土地につき、旧自作農創設特別措置法(以下単に旧自創法と略称する)第六条の五に該当する昭和二十年十一月二十三日基準時現在における小作地として第十二期買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したので、原告はこれを不服として昭和二十四年六月十日同町農地委員会に対し異議を申し立てたところ同月十二日却下され、更に県農地委員会に訴願したが同年七月三十日棄却となり、次いで被告知事は県農地委員会の所定の承認手続を経た右買収計画に基き同年八月一日附の請求趣旨記載の買収令書を発行し昭和二十六年五月四日原告にこれを交付して右各土地を買収した。

しかしながら基準時当時原告の妻は葛巻町に居住して農業を営んでおり別紙目録記載の各土地を耕作していたのであるから、右各土地は右同日現在原告の自作地であつて旧自創法第六条の五に規定する場合に該当しない。しからば右買収処分は基準時現在における自作地を小作地と誤認して買収した違法がある。しかしてこのような違法は重大且つ明白であり無効の瑕疵に該当するから右買収処分の無効であることの確認を求めるため本訴請求に及ぶと述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中原告の所有であつた別紙目録記載の各土地に対する葛巻町農地委員会の買収計画の樹立から被告知事の買収令書の交付にいたるまでの買収手続関係が原告主張のとおりであることは認めるが原告その余の主張事実は争う。原告は基準時当時国民学校教員で任地九戸郡大野村に居住しており、別紙目録記載の各土地をそれぞれ訴外阿部已之松、和田三之助及び水谷留之助らに賃貸小作せしめていたのであるから、右各土地は右同日現在における不在地主の小作地として旧自創法第六条の五の規定に則りこれを買収し得べきは勿論である。しからば被告知事のなした本件買収処分には何ら原告主張のような違法はないから原告の本訴請求は失当として棄却さるべきであると述べた。(立証省略)

理由

昭和二十四年六月二日葛巻町農地委員会が原告の所有であつた別紙目録記載の各土地につき旧自創法第六条の五に該当する小作地として買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し原告から異議次いで訴願がなされたがそれぞれ却下棄却され、続いて被告知事が県農地委員会の承認手続を経た右買収計画に基き原告主張の同年八月一日附買収令書を発行し、昭和二十六年五月四日原告にこれを交付して右各土地を買収したことは当事者間に争いがない。

よつて基準時現在において右各土地が不在地主の小作地であつたかどうかについて判断する。成立に争いのない甲第五号証、乙第一号証、証人阿部政夫、水谷留之助、和田ナツ及び触沢クマ(但し後記措信しない部分を除く)の各証言を綜合すれば、原告は国民学校教員であつた関係で永らく葛巻町を離れて他町村の国民学校に勤務し、その間同町に居住する原告の妻の父忠次郎をして原告所有の農地その他の財産を管理せしめていたが昭和二十年当時右忠次郎は老齢のため自ら農業に従事することもできなかつたので右農地は挙げてこれを他に小作せしめていたのであり、しかして別紙目録(1)記載の畑二反六歩及び(3)記載の畑四畝歩は訴外阿部已之松の、(2)記載の畑五反八畝二十六歩及び(4)記載の畑五畝歩は同和田三之助の、(5)記載の田一反六畝二十二歩は同水谷留之助のそれぞれ小作するところであつたこと、ところで昭和二十年当時原告は九戸郡大野村林郷国民学校に勤務していたが食糧事情も極度に逼迫していた折柄、ゆくゆくは教職を退いて郷里葛巻町に帰り住み農業に従事する考えで、同年十一月初旬頃取り敢えずその妻と当時四歳の子供一人を義父忠次郎の許に帰えし、自らは二十歳、十一歳、八歳の子供三人とともに大野村に留つていたこと、原告の妻は葛巻町に帰つた当初は父忠次郎の許に同居していたが間もなく同人が死亡したので同所を去つて別紙目録(3)記載の畑四畝歩地内にあつた建坪約十八坪の作業小屋を住宅として使用できる程度に多少改造補修してこれに移り住み原告らの帰来を待つていたが同年度は季節も遅かつたので遂いに農耕をなし得なかつたこと、一方原告はたまたま昭和二十一年三月三十一日附で葛巻町星野国民学校に転勤になつたので同年四月初旬頃大野村を引き揚げて葛巻町の妻子の許に転入し来り、暫く同所から右国民学校に通勤していたが同年五月初旬頃辞職し、専ら農業をもつて生計を樹てるべく、その頃先ず前記和田三之助から別紙目録(4)記載の畑五畝歩の返還引渡を受けてこれを阿部已之松に小作させ、その代り同人から同目録(3)記載の畑四畝歩の返還を受け、更に和田三之助から(2)記載の畑五反八畝二十六歩のうち三反歩、水谷留之助から(5)記載の田一反六畝二十二歩の返還引渡を受けて同年度の耕作を開始し、次いで昭和二十二年春阿部已之松から同目録(1)記載の畑二反六歩、和田三之助から(2)記載の畑五反八畝二十六歩のうち残二反八畝二十歩の返還引渡を受けて耕作するにいたつたこと、しかして前記約十八坪の建物は昭和十一年原告の建築したもので、原告の妻次いで原告がこれに居住するようになるまでは専ら前記小作人らの共同農作業所として使用されて来たものであり嘗て住宅等に使用されたことがなかつたこと、原告は昭和二十三年春これを収去して肩書住居地に移築しその跡地に林檎樹を植栽したので昭和二十四年六月二日の前示買収計画樹立当時は右建物の敷地部分も含めて右畑四畝歩全部の現況は畑であつたこと、以上の事実を認めることができる。証人触沢クマの証言中右認定に反する部分は前記各証拠に照らし当裁判所のにわかに措信し難いところであり、甲第三、四号証によつても右認定を左右することができない。

ところで旧自創法第三条第一項第一号にいわゆる不在地主の小作地であるかどうかは当該農地の所有者自身の住所がその農地の所在地にあるかどうかにより決すべきものであり、その家族の住所は何ら右認定の基準となるべきものではないから、たまたま家族が右農地の所在地に住所を有しているからといつて、いやしくも所有者自身農地所在地に住所を有しない以上、右農地をもつて不在地主の所有農地というに何ら妨げない。

本件において原告自身基準時現在葛巻町に居住していなかつたこと前示認定のとおりである以上、たとえその妻及び子供が右同日現在同町に居住し前示認定のような事情があつたからといつて原告の住所が葛巻町にあつたものとなし得ないこと勿論である。しかして原告が別紙目録記載の各土地をそれぞれ前示小作人らから返還引渡を受けて耕作を始めたのは昭和二十一年春又は翌二十二年春以降のことに属するから、基準時現在において右各土地はいわゆる不在地主の小作地であつたといわなければならないところ、旧自創法第六条の五により準用される第六条の二第二項各号に規定する事実の存することにつき何らの主張及び立証のない本件においては、このような事実はなかつたものと認めるの外はないから、右各土地は基準時現在の事実に基き不在地主の小作地としてこれを買収するに何ら妨げないものといわなければならない。

ところで前示認定のとおり、別紙目録(3)記載の畑四畝歩のうちには基準時当時約十八坪の建物があり、且つこれに原告の家族が居住していたのであるから、右建物の敷地とその周辺の若干の部分は当時の現況農地でなかつたものといわざるを得ないからして、たとえ公簿上の地目が右部分をも含めて全部が畑であるからといつて、現況主義を建前とする旧自創法に基く買収にあつては、右農地でない部分はこれを除外すべきであり、従つてこれを含めて右土地全部を農地として買収したのは違法であるといい得なくもないが、しかしもともと右建物は作業所として専ら農耕用に供すべく建てられたものであり、一般の住宅と同一に目し得られないのみならず、前示買収計画の樹立の前年たる昭和二十三年春原告によつて収去せられ、その跡地には林檎の樹が植栽されて右畑四畝歩全部の現況が畑になつていた以上、基準時現在の現況農地でなかつた部分をも含めて全部を畑として買収したからといつて直ちに右買収処分に無効の瑕疵に該当する違法があるものということはできない。

してみれば別紙目録記載の各土地につき、基準時現在の事実に基き旧自創法第六条の五に該当する小作地として樹立した葛巻町農地委員会の前示買収計画、従つてこれに準拠してなした被告知事の本件買収処分には何ら原告主張のような違法はない。

よつて原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 佐藤幸太郎 西沢八郎)

(目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例